« 良薬は、口に甘し | トップページ | 水仙炒め »

2006年5月15日 (月)

「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」

 実は、昔から建築好きでして、祖父と伯父は大工、父も建築関係の仕事をしていたので、身近だったということもあるのでしょう、ハワイに行っても、マリン・スポーツは一切せず、動物園や美術館に行ったり、街中をぶらぶらして、建築を見たりしておりました。

 

 そんなワタクシ、ここのところ家が欲しいという気持ちが、急速に高まって来ているのですが、収入が伴わないため、せめて夢だけでも見ようと、今月と先月、建築関係の本だけで12冊購入。ダンナに、その金を貯金せいと突っ込まれつつも、古今東西の建築物に囲まれて、至福の時を過ごしておりました。その数多の建築物の中で、私の最も好きな住宅建築が、ルイス・カーンの「エシェリックハウス」。

 

 ルイス・カーンの設計で、最も好きな建築は、「ソーク生物学研究所」なのですが、水路のある広場が神殿の祭壇のように見え、崇高過ぎて、生活の場となる住宅の参考にはならない気がしていました。私にとって、ルイス・カーンという人は、大きな建築物専門に設計する、有名で近寄りがたい建築家の一人という印象の人だったのですが、「エシェリックハウス」の存在を知って、彼の他の作品にも目を向けるようになっていました。

 

 そして、映画館から長く遠ざかっていた私の重い腰を上げたその人こそ、このルイス・カーンなのです。

 

 ダンナを誘って見に行った映画は、「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」。

 

 "建築界最後の巨匠"とまで言われたルイス・カーンは、1974年3月17日、ニューヨーク・ペンシルバニア駅のトイレで、心臓発作により亡くなる。彼のパスポートの住所は、消されており、身元不明の死体として、モルグに3日間安置された。後には、50万ドルにも及ぶ負債と、妻、2人の愛人、腹違いの3人の子供が残された。

 

 その25年後、3人目の愛人の子供で、唯一の息子、ナサニエル・カーンは、長じて映像作家となり、5年に及ぶ歳月をかけて、世界各地に建てられた父の建築物を丹念に辿り、縁ある人々を訪ね歩く。

 

 ルイス・カーンが亡くなったのは、ナサニエル11歳の時でだった上、愛人宅をそう頻繁には訪れなかったであろうために、父の記憶はほとんど無い。彼の旅は、生前の父を知り、受け入れ、乗り越えていくための、喪の仕事だ。

 

 同業者の多くは、言葉を選び、ルイス・カーンに敬意を払っているように見える。「ガラスの家」のフィリップ・ジョンソンは、自分の家は、ただの四角の箱だったから、ルイス・カーンは、訪ねて来なかったと言い、怒りっぽいライトや、陰険なコルビュジェに比べると、愛されるキャラクターだったと話している。また、ルーブルの「ガラスのピラミッド」のイオ・ミン・ペイは、重要な依頼主であっても、自分の考えを押し通すやり方は、自分には真似出来ないと言いつつも、少数ながら素晴らしい建築を残したカーンの仕事を、量より質だと評している。

 

 しかし、理想主義者且つ完璧主義者だったらしいルイス・カーンは、依頼主や予算、家族や弟子のことには注意を払らうことが出来ない、社会生活者としては、少々問題有りな人物だったらしく、3人目の愛人でナサニエルの母・ハリエットの兄や、フィラデルフィア都市計画委員長のエドマンド・ベイコン、弟子のダンカン・ブエル、「キンベル美術館」の現場監督達などからは、辛辣な意見も飛び出す。傍目には美しい「ペンシルバニア大学リチャーズ医学研究棟」も、使い勝手の悪さを批判されており、ナサニエルは、少々幻滅させられたようだ。

 

 ナサニエルが子供の時から母に聞かされてきたらしい、父は、死ぬ間際、本妻のエスターと別れて、母と自分の元へ来ようとしていたという話は、多くの人の証言から、母の思い込みであるらしいことが明らかになってくる。2人目の愛人で弟子、「ユダヤコミュニティーセンターバスハウス」の共同設計者でもあった建築家のアンは、ルイス・カーンの性格から言って、そんなことはしないだろうと、ナサニエルの母・ハリエットの考えを一蹴している。ハリエットは、ルイス・カーンが一緒に住んでくれると言ったのだと主張するが、愛人に迫られたら、大抵そう言うだろうという感じだ。ハリエットの姉・プリシラーも、ハリエットにはロマンスに憧れる傾向があることを指摘している。建築家モシェ・サフディーの、彼は遊牧民だったという言葉などから、ナサニエルは、総合的に判断し、父は、結局、誰も選ばなかった、仕事人間であったという考えに辿り着く。

 

 「ノーマン・フィッシャー邸」に呼び寄せられた2人の異母姉との会話は、建物や森の静かで穏やかな佇まいとは裏腹に、緊迫したものだ。興味深かったのは、3人の子供達が、3人とも、母の性格を受け継いでいないように見えることで、本妻・エスターの娘であるスー・アンは、2人の愛人が葬儀に来るのを嫌がったという母とは違い、父の愛した人々を理解しようと努めているようだし、2人目の愛人・アンの娘であるアレクサンドラは、達観している母とは違い、未だに本妻を恨んでいるかような口振りだ。ナサニエルも、ルイス・カーンの言い逃れのような言葉を鵜呑みにし、信じることを生きるよすがとして来た母とは、違うタイプらしく、出来得る限り、父を客観視しようと試みており、映画は、好感の持てる作品に仕上がっている。

 

 ナサニエルの存在については、ルイス・カーンに息子はいないと否定する人物がいたりもしたが、「アメリカ吹奏楽団のための船」を依頼したロバート・ブードローは、ナサニエルのことを記憶しており、再会の喜びに声を詰まらせる。また、バングラデシュの市井の人々は、彼らの国の「国会議事堂」を作ったルイス・カーンの息子を温かく歓迎し、握手を求めている。

 

 ナサニエルが、「インド経営大学」の建築に深く係わったB.V.ドーシの、彼は近くで貴方を祝福しているとの言葉に癒され、父の精神が世界中に遍在することを知るシーンや、建築家シャムール・ウォレスがルイス・カーンを称えて述べた、彼は、我々の国に民主主義を与えてくれたという言葉によって、旅を終わらせる決意をするシーンは、ナサニエルの旅が、不毛なものに終わらなかったことを感じさせてくれ、嬉しく思う。

 

 期待通りのいい映画で、写真でしか見たことのなかった数々の建物を映像で見られたことが、本当に良かった。とりわけ、夜の「ソーク生物学研究所」は、あまりに神秘的で、言葉を失う迫力だ。ナサニエルも、「ソーク生物学研究所」からは、初めて父の精神を感じたと語っていて、子供に戻って、広場でローラーブレードを楽しむ様子は、微笑ましかったです。

 

 ルイス・カーンの生前の映像を見られたのも、私にとっては、収穫で、彼の顔にある火傷の痕よりも、その小柄さからか姿勢が良く、コートの裾をなびかせて颯爽と歩く姿が目を引きました。

 

 DVD化したら、入手して、何度でも見たい、私にとっては、そんな映画でした。映画=ハリウッドなダンナには、面白くなかったらしく、残念でしたが、帰宅後、「エシェリックハウス」の写真を見せると、気に入ってくれたようで安心しました。ナサニエルが、努めて淡々と撮ったであろう、この映画は、山場や劇的な場面こそ有りませんが、心に染み入る1本です。

|

« 良薬は、口に甘し | トップページ | 水仙炒め »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101392/10089842

この記事へのトラックバック一覧です: 「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」:

« 良薬は、口に甘し | トップページ | 水仙炒め »